「主よ、おっしゃってください」 03−03−02
ルカ7:1〜10
信仰は、私たちの目を開きます。そのような信仰へと、神さまは
私たちを導きいれてくださったのです。
カファルナウムの町の、百人隊長と呼ばれる人も、目が開かれて、
主イエスを見抜くことができた人でした。主が神の御子であり、神の
力が宿っている方である事が分かったのです。
ですから、「ひとことおっしゃってください」と言うのです。彼には、
主イエスの御言葉に対する深い信頼があふれています。
@「ひとことおっしゃってください」との言葉の後に続くのは、
主の御言葉の実力に対する信頼です。彼は、自分のような者の
言葉さえ部下の兵隊が聞き従うことを思いながら、神の御子である
主イエスのお言葉は必ず実現し、その通りになることが分かりました。
信仰は、御言葉の力を見抜かせ、主の御言葉は状況を変えることも、
創造することもできる実力あるお言葉であることを分からせるのです。
百人隊長のように、信仰へと導かれた私たちも、主の御言葉の力が
はっきりと分かる者にされました。そのお言葉に信頼し切って良い
ことが分かったのです。だから、御言葉に慰められ励まされて生きる
ことができるのです。
A彼は、「一言(ひとこと)おっしゃってください」との言葉の前に、
自分は主イエスにはふさわしくないと言います。異邦人である自分が
主イエスに近づくことは失礼だと考えました。けれども彼は、主イエスの
御言葉の力は制限されることなく、ふさわしくない者の所にまで及ぶ
力があることを見抜いていたのです。主の御言葉の力が及ばない
ところなどないことを知ったのでした。「あなたを自分の屋根の下に
お迎えできるような者ではありません。」これはまさに、私たち自身の
言葉でもあります。しかし、私たちも主の御言葉が「ふさわしくない」
ことを突き抜けて、この自分のところにまで迫って来たことを知らされて
いるのです。
私たちは、救いを実現する御言葉の力、ふさわしくなかった自分
にも迫ってきた御言葉の力を、はっきり知って生きる幸いに入れられ
ています。